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     研究課題1 溶液プロセスによる機能材料の創出

半導体材料製造には多くのエネルギーが必要

    私たちの生活に不可欠となっている様々な製品には、色々な半導体デバイスが使われています。それら半導体材料を作るには特殊な環境が必要となる場合が多く、原料を超高温で溶融したり、超高真空中で気化したりする過程を経て、目的の高純度半導体材料を得る手段が用いられてきました。その代表は、コンピュータなどのICT機器や太陽電池に用いられる結晶シリコンで、原料となるケイ砂(SiO2)を1500℃以上の高温で溶融、還元して、いくつものプロセスを経て超高純度なシリコンの単結晶を作ります。その製造にかかるエネルギーは莫大で、必要となる製造設備も極めて高額になります。だから当然製品は高価になります。高付加価値なマイクロプロセッサやメモリ(これらは、結晶シリコンをちょっと使うだけ)を作るためならいざ知らず、例えば太陽電池(結晶シリコンを大量に使う)にその技術を使うのでは、得られる価値に対して価格が高くなり過ぎます。

ここでちょっと考えてみます。SiO2からSiへの変化は、

SiO2 → Si + O2

なので、反応のギブス自由エネルギー変化は298 KでΔG = +856.4 kJ mol-1であり、外部からエネルギーを加えないと反応が進行しない、上り坂反応であることが分かります。では、1 kgのシリコンをSiO2から製造するのに必要なエネルギーを計算すると、約30 MJであることが分かります。ところが、実際に単結晶シリコンを製造するのにかかるエネルギーは、これよりも4桁ほど大きくなります。一体どこにそのエネルギーが使われたのでしょう?簡単な話です。ケイ砂を溶融したり、テトラクロロシラン(SiCl4)を蒸留したり、溶融シリコンから結晶シリコンを成長させたりする、その状態変化を起こすためにエネルギーのほぼ全てが使われています。ケイ砂の還元自体に要する化学エネルギーは、コークスから得ているだけです。すなわち、固体から液体、液体から蒸気、などの状態変化を起こすのに多くのエネルギーが必要で、製造設備を動かすこと自体にエネルギーが必要なんです。だから、製造に要した莫大なエネルギーが、完成したシリコンウェハに入っているわけではありませんから、これを燃焼させて、再びSiO2にしたところで、使ったエネルギーを取り戻すことは出来ません。つまり、製造に要したエネルギーは環境に散逸して、失われてしまいました。
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溶液を使って、プロセスエネルギーを低減する
    吉田研では、溶液をうまく使うことで、エネルギーの無駄を最小限にした半導体合成に取組んでいます。例えば、原料AとBから、化合物AB結晶の薄膜を気層中と溶液中で合成する経路を下図に模式的に表現しました。原料AとBがバラバラにあるよりも、化合物ABはその化学結合エネルギーや結晶格子エネルギー分安定になります。つまり、AとBから化合物AB結晶を生成する反応の自由エネルギー変化は、その生成エネルギーと同じで、ΔGf AB < 0の自発反応ということになります。ところが、原料AとBを(例えば粉末の状態で)混合して、待っていても化合物ABはちっとも出来ません。言うまでもなく、化学反応が進行するためには、ある活性化状態を作りだす必要があるからです。例えばAとBの固体を高温で加熱したり、加速イオンビームを照射したりして、高エネルギーで活性化すれば、AとBそれぞれが原子、分子、クラスター状にバラバラになって、AとBの蒸気を発生させられます。但し、例えばこれが大気中だと、大気の分子にエネルギーが奪われたり、大気中の酸素と反応して原料が酸化されたりするので、原料以外のガスを真空排気する必要があります。この様に、大量のエネルギーを投入してやれば、AとBの蒸気だけが存在する状態を作りだすことも出来ます。そうすると、あとはAとBそれぞれに戻るよりも、化合物ABの状態へと変化する方が優位となって、目的である化合物ABの薄膜を得ることが出来ます。しかし、上記の状態変化を生み出すために、莫大なエネルギーを要してしまいました。これを、気層プロセスに必要な活性化エネルギーと見なし、ΔEA gasとします。上記の、加熱で原料を昇華する方法とイオンビーム励起でガス化する方法を、それぞれ真空蒸着法(Vacuum evaporation)、スパッタリング法(Sputtering)といい、総称して物理蒸着法(Physical Vapor Deposition = PVD法)と言います。原料が状態変化するだけでなく、化学変化を伴う場合(原料AとBから化合物ABが生じるこの例など)、化学蒸着法(Chemical Vapor Deposition = CVD法)と言って区別します。この他、パルスレーザー励起を用いる場合にPulsed Laser Deposition = PLD法、分子蒸気原料の表面反応を利用して、基板材料と結晶構造を整合させて単結晶薄膜を得る手法をMolecular Beam Epitaxy = MBE法(分子線エピタキシー法)、原料ガスフローを交互に切り替えながら、基板表面に吸着された原料ガスの反応のみを利用して、反応ワンサイクルごとに原子層一層ずつ目的材料を成長させる手段を、Atomic Layer Deposition = ALD法などと呼び、特別に区別したりしますが、基本的には状態変化のみを利用して、例えば原料の粉末から、原料と同じ物質の薄膜を得る様な手段(すなわち、形を変えるだけ、とも言える)をPVD法、化学反応が伴い、原料とは違う物質の薄膜を得る手法をCVD法と呼ぶので、これら2つのいずれかに大別されることになります。 
    さて、この最終的には無駄になる、プロセスエネルギーを低減出来れば、大幅なコストの削減も可能になります。貴金属が高価なのは、地球上にその元素が極めて限られているからですが、半導体デバイスが高価なのは、材料の希少性ではなくて、プロセスに多くの手間とお金がかかったからです。反応場を気層から液相に変えるだけで、状態変化に要するエネルギーを大幅削減出来ます。下図の右側は液相中で製膜する時の反応経路を示しています。まず、原料AとBが溶媒(水であれば最も環境負荷が小さい)に溶けるとします。この「溶ける」という現象が既に重要で、それは固体であるよりも、溶媒和された状態が安定なためで、だからこそ自発的に溶解します。物によってはAの溶液とBの溶液を混合しただけで、室温で瞬く間に化合物ABを生じることもありますが、例えば少し溶液を加熱するとか、光を照射するとか、あるいは電解反応を用いるなど、少しのエネルギーで励起すれば、反応の中間状態となるAとBの活性錯合体が生じて、化合物AB結晶の薄膜を形成することが出来ます。この活性錯合体も溶媒和された状態なので、AとBがバラバラになった状態よりもずっと化学的に安定です。そのため、溶液プロセスで必要となる活性化エネルギー、Δ
EA solはΔEA gasよりもずっと小さく、その差分だけプロセスエネルギーを節約できることになります。当然ながら、最後に出来る化合物AB結晶の薄膜の化学ポテンシャルは、気層法でも液相法でも同じなので、途中の経路の違いだけが実際にこれを得るために必要なプロセスエネルギーの違いを生むことになります。

    この例について、例えばAが鉛(Pb)で、Bが硫黄(S)、化合物ABは硫化鉛(PbS)であったとしましょう。PbSは化合物半導体の一種で、近年量子ドット型太陽電池の光吸収材料としてとても注目されている物質です。PbS結晶の生成エネルギーは、ΔGf AB = ΔGf PbS = -98.7 kJ mol-1で、一方、PbSの原料となる水和イオンPb2+ aq.と硫化水素H2Sガスの生成エネルギーはそれぞれ-24.4と-35.3 kJ mol-1なので、液相製膜に用いる原料は、PbとSの単体よりも化学的に安定な状態にあります。例えば酢酸鉛の水溶液に硫化水素ガスを通じてPbSの沈殿を得る時の反応、
Pb2+aq. + H2S (g) → PbS (c) + 2H+ aq.
についてその自由エネルギー変化は、ΔGPbS sol = -39 kJ mol-1となります。実際この反応は室温で容易に進行(すなわち、活性化エネルギーΔEPbS solが小さい)し、真っ黒なPbSの沈殿が溶液中に得られます。逆に気層法においてPbとSの蒸気を得ようとした場合、その生成エネルギーは298 Kでそれぞれ+162, +227 kJ mol-1と正に極めて大きく、大きく活性化された状態です。実際には状態変化を引き起こすためには生成エネルギー差分以上のエネルギーを投入しなくてはならないので、それが気層製膜に必要なプロセスエネルギーになります。 
    溶液を上手に使うことで、プロセスエネルギーを大幅削減できる理由が分かったでしょうか?例えばPbSの場合、上記のやり方ではPbSの紛体が得られるだけで、薄膜にはならないので、色々と工夫をしてやる必要はあるのですが(吉田研で、PbS薄膜の合成を上記の様にやっているわけではないので、念のため)、途中の状態が溶媒和されたイオン等であれば真空中にガスを生じさせるよりもずっとエネルギーが節約できるという理屈は上記の通りです。

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酸化亜鉛薄膜のカソード電析
    酸化亜鉛(Zinc oxide, ZnO)は、古くはホーロー鍋の「ホーロー」や「おしろい」に用いられる、化学的に安定な白色顔料(前記例ではいずれも純品の酸化亜鉛を使うわけではなくて、酸化亜鉛を含む、ということ)でしたが、近年ではその優れた光学的、電気的性質、半導体物性からオプトエレクトロニクス分野での応用が期待される材料です。式量は81.4 g mol-1、密度が5.6 g cm-3、融点が1975℃(分解する)で、通常六方晶ウルツ鉱型結晶となり、そのバンドギャップが3.2-3.4 eVの広バンドギャップn型半導体性を示します。励起子結合エネルギーが60 meV程度と比較的大きく、電子の移動度は数百から2,000 cm2 V-1 s-1と極めて高いため、UV発光材料としてや、3価のAlやGaをドープした透明導電材料として特に有望で、化合物薄膜太陽電池ではトップコンタクト電極層(光入射側)として実用化されています。また、種々の方法によって微粒子や薄膜の合成が可能で、特に溶液からの合成ではユニークなナノ構造を様々に付与することが出来るので、そのナノ構造に由来する特異的な性質を見出して、利用しようとする研究も盛んです。

                酸化亜鉛
酸化亜鉛の薄膜は、スパッタリング法やCVD法などの気層法によって得ることはもちろん可能で、実用デバイスの作製プロセスとしては、それらが主流です。しかし、酸化亜鉛薄膜は化学析出法や電気化学析出法によって作製することも可能で、大面積に高機能な薄膜が得られるのならば、プロセスコストやエネルギーの低減に対して有効な手段となり得ます。実際、例えば塩化亜鉛の水溶液に水酸化ナトリウムを加えれば、水酸化亜鉛の沈殿が得られますが、それをそのまま放置しておくと、次第に酸化亜鉛結晶へと変化するほど酸化亜鉛の生成は容易です。

 上記の様な沈殿形成法では薄膜化には都合が悪いですが、不均一場反応を利用する電気化学析出(電析)法ならば、溶液中には原料が溶解していて、基板の表面にだけ酸化亜鉛薄膜が形成される様にすることが出来ます。代表的な酸化亜鉛薄膜電析法として、①硝酸イオンの電解還元を利用する方法、②溶存酸素の電解還元を利用する方法、が知られています。「還元反応によって酸化物を得る」とは、ちょっと変な話に聞こえるかも知れませんが、実際に起こる反応は以下の様になります。


①硝酸亜鉛水溶液中で硝酸イオンの還元を利用する方法

典型的には0.1 M程度の硝酸亜鉛(Zn(NO3)2)の水溶液を電解浴に用い、温度を50-80℃くらいに保ち、導電基板を-1 V (vs. SCE, SCEはSaturated Calomel Electrode = 飽和カロメル電極)程度にカソード分極すると、溶液中の硝酸イオンが亜硝酸イオンなどに還元されて水酸化物イオンが生じ、その水酸化物イオンが亜鉛イオンと反応して、自発的に脱水することで高結晶性の酸化亜鉛薄膜が得られます。一連の反応式を示すと、

硝酸イオンの亜硝酸イオンへの還元

NO3- + H2O + 2e- → NO2- + 2OH-        (1)

(E = -0.240 V vs. SCE @pH = 14)

亜鉛イオンと水酸化物イオンが反応、脱水して酸化亜鉛を与える

Zn2+ + 2OH- → Zn(OH)2 → ZnO + H2O    (2)

したがって、総括反応は

Zn2+ + NO3- + 2e- → ZnO + NO2-        (3)

(E = +0.246 V vs. SCE)

ここで、(1)と(3)の標準酸化還元電位が異なり、(3)の方がずいぶん貴である(ポジティブである)ことに注目して下さい。これは酸化亜鉛の高い化学的安定性、すなわち負に大な生成ギブスエネルギー(ΔGf ZnO (c) = -320.52 kJ mol-1 @298 K)のためです。言い換えれば、硝酸イオンは単独で還元されるよりも、亜鉛イオンを巻き込んで酸化亜鉛の形成を伴う場合の方が還元されやすい、ということです。


②酸素飽和塩化亜鉛水溶液中で溶存酸素の還元を利用する方法

典型的には塩化亜鉛(ZnCl2)を1-5 mM含む電解液を浴として、酸素を飽和し、やはり温度を50-80℃くらいに保ち、導電基板を-1 V (vs. SCE)程度にカソード分極すると、溶液中の酸素分子が還元されて水酸化物イオンを生じ、やはりその水酸化物イオンが亜鉛イオンと反応して、自発的に脱水することで高結晶性の酸化亜鉛薄膜が得られます。これについて一連の反応式を示すと、

酸素の水酸化物イオンへの還元

O2 + 2H2O + 4e- → 4OH-         (4)

(E = +0.160 V vs. SCE @pH=14)

亜鉛イオンと水酸化物イオンが反応、脱水して酸化亜鉛を与える

Zn2+ + 2OH- → Zn(OH)2 → ZnO + H2O    (2)

したがって、総括反応は

Zn2+ + 1/2O2 + 2e- → ZnO            (5)

(E = +0.813 V vs. SCE)

極めて簡単な反応ですが、ちょっと注意が必要です。上記の反応式で表現すれば、亜鉛塩は水溶性さえあれば何でも良さそうに思えます。ところが酸化亜鉛が得られるのは塩化亜鉛や臭化亜鉛の様なハロゲン化亜鉛のみで、酢酸亜鉛や硫酸亜鉛水溶液からは酸化亜鉛は出来ません。化学反応を式で表現することは、物質収支の量論比を明確にする点では好ましいのですが、反応の途中は分からないのだ、という事を忘れてはなりません。上式はあくまで物質の収支、原料と生成物、最初と最後の関係を示しているに過ぎません。実際のところ、①の(3)式と②の(5)式は正しいですが、(1)(2)(4)については本当にこの様な反応が起こっているのか、途中の反応、反応の経路がどうなっているのかは分からないのです。だから、「塩化亜鉛からは酸化亜鉛が出来るけど、酢酸亜鉛からは出来ない」という現象は、観察することが極めて困難な反応の素過程に立ち入らなければ説明することが出来ません。

 話は変わって、亜鉛イオンを還元して金属の亜鉛を生成する反応は

Zn2+ + 2e- → Zn            (6)

(E = -1.004 V vs. SCE)

です。酸化亜鉛薄膜の電析は、金属亜鉛の析出が起こるか起こらないかのギリギリの電位でやっている、ということになります。(5)式の標準酸化還元電位が(6)式よりも大幅に貴なのは、やはり酸化亜鉛の負に大なギブス生成エネルギーのためです。-1V (vs. SCE)よりもずっと貴な電位でも酸化亜鉛は出来そうな気がしますが、この反応は動力学的に遅く、大きな過電圧を印加しないと進行しません。具体的には概ね-0.7 V (vs. SCE)よりも卑な電位(ネガティブな電位)が必要です。実際に電気化学反応を進行させるためには平衡電位と印加電位の差(=過電圧)を相応に与えることが必要で、それは①の硝酸亜鉛系の場合も同様です。熱力学的な酸化還元電位は、反応のバランス点のポテンシャル軸上での位置を伝えているのみであって、どの過電圧においてどれぐらい反応が速く進行するのか、を伝えるものでは無いことに注意が必要です。従って酸化還元電位がより貴であるから、その反応の方が進行しやすい、と考えるのも誤りです(そうなる場合もありますが)。これらの例に限って言えば、①の硝酸系でも②の酸素系でも酸化亜鉛の析出は、金属亜鉛の析出に優先します。これは亜鉛の(酸化亜鉛としての)析出が本来の電位(金属亜鉛析出の電位)よりも貴な電位(マイナス過電圧とも言える)で起こる現象であり、それをUnder Potential Deposition (= UPD)などと呼んだりします。UPDは現象の呼び名ですから、上述の様に酢酸亜鉛や硫酸亜鉛水溶液からはUPDは起こらない、ということになります。

酸化亜鉛薄膜電析について、おおまかに説明しましたが、実は①と②の反応は性格が大きく異なり、その支配因子、制御手法が全く違います。以下にもうちょっと突っ込んだ薄膜合成の実際を説明していきます。Top


硝酸亜鉛水溶液からのZnOカソード電析の実際

 先に、硝酸イオンは亜硝酸イオンに電解還元されて、水酸化物イオンを生じるとしましたが、実際のところ、還元生成物が亜硝酸だけであるか(亜硝酸の生成は実験的に確認されている)どうかは分かりません。というのも、窒素のオキソ酸や酸化物には様々な酸化数のものが存在していて、色々な反応が起こり得るからです。硝酸イオンは窒素の酸化数が最も高いオキソ酸(酸化数 = +5)ですが、例えば、最も還元されたアンモニア(酸化数 = -3)まで還元される反応を考えても、

NO3- + 6H2O + 8e- → NH3 + 9OH-        (7)

(E = -0.361 V vs. SCE @pH =14)

の様に、熱力学的観点からはさほど困難な反応とは言えません。しかし(7)式は硝酸イオン1個あたり、8個もの電子を消費する多電子反応です。実際には電子は1個ずつ移動しますから、途中の還元状態を強く安定化する様な触媒作用が電極表面になければ、この様な反応は極めて起こりにくいのが通常です。なので最も電子数の少ない硝酸から亜硝酸への還元(電子数は2個)だけを想定することにしますが、いずれにしても、この様な水中でのオキソ酸の還元には水酸化物イオンの生成(多くの場合、反応の電子数と同じ数のOH-が生成する。同数のH+が消費されると考えても同じ。)が伴います。このOH-の生成が、電極近傍のpHを上昇させ、周囲の亜鉛イオンと反応、脱水して酸化亜鉛を析出させます(電極近傍が酸化亜鉛の過飽和状態になる、と考えても良い)。

 ところが、硝酸イオンの電気化学的な還元は、通常ほとんど起こらないのです。例えば硝酸カリウム(KNO3)の水溶液中でフッ素ドープ酸化スズ(FTO)透明導電膜付ガラスをカソード分極した時のI-Vカーブは下図の様になります

 図 FTOガラスを作用極、白金線を対極として、Ar脱気した0.1 M KNO3水溶液(70℃)中で測定されたI-Vカーブ。測定には回転電極を用いているが、電極を静止しても、回転させても電流はほぼ変わらない。また、スキャンレートにもほぼ依存しない。物質輸送による規制を受けず、過電圧のみによって電流(=反応速度)が決まる、Tafel領域にあるためで、この観察される電流は、主としてプロトンから水素への還元反応と考えられる。


観察される電流はごく小さく、過電圧の増大に伴って指数関数的に増大していることが分かります。また、物質輸送の影響は全く見られません。この電流は主として水(プロトン)の還元による水素発生によるものであり、想定していた硝酸イオンの還元は全く起こらないのです。


 電解液を0.1 M Zn(NO3)2に変更して、同様にI-V曲線を測定すると、今度は大きい電流が観察されます。

図 FTOガラスを作用極、白金線を対極として、Ar脱気した0.1 M Zn(NO3)2水溶液(70℃)中で測定されたI-Vカーブ。FTOガラスは回転電極として用いており、回転数を(a) 250, (b) 500, (c) 1000 rpmと変化させたが、電流には全く相違が無い。すなわち、やはり物質輸送の影響を受けないTafel領域であることが分かる。


電流は増えましたが、電極回転数の影響は全く見られないことから、物質輸送は反応速度を規制せず(=原料の濃度勾配が無い)、やはり過電圧によって反応速度が支配されるTafel領域にあります。しかしこの時、硝酸イオンの還元は起こっていて、酸化亜鉛薄膜が析出して、基板表面には六角形をした酸化亜鉛結晶の粒子が観察されます。

図 0.1 M Zn(NO3)2水溶液(70℃)中、-1.0 V (vs. SCE)の定電位電解によって得られた酸化亜鉛薄膜の表面電子顕微鏡写真。


同じ電極電位での電流は30倍程度に増大していて、KNO3中では見られなかった硝酸イオンの還元が、Zn(NO3)2中では起こる様になることを明らかにするために、次の様な実験を行いました。KNO3とZn(NO3)2を適宜混合し、硝酸イオンの濃度を[NO3-] = 0.2 Mに固定する一方、亜鉛イオンの濃度[Zn2+]を0から0.1 Mまで変化させると、以下の様なI-Vカーブが得られました。

図 KNO3とZn(NO3)2の混合水溶液について、[NO3-] = 0.2 Mに固定して、0 [Zn2+] 0.1 Mと変化させた時のI-Vカーブ。FTOガラス回転作用電極の回転数は500 rpmに固定。Ar雰囲気下、70℃。


亜鉛イオンの濃度の増大に連れて、カソード電流が漸進的に増大していることが分かります。同じ過電圧で電流が増大する(=反応速度が速くなる)ということは、亜鉛イオンが硝酸イオンの還元に対する触媒作用(電気化学反応については、特に電極触媒作用と言います)を示していることになります。そこで、次の様な反応機構モデルを考えました。

図 硝酸亜鉛水溶液からの酸化亜鉛薄膜電析機構のモデル。酸化亜鉛表面にある吸着サイトに対して亜鉛イオンが単層(Langmuir型)吸着し、それが硝酸イオンの電解還元に対して活性な反応場を与える。電荷移動が起こることで表面に形成された錯体はZnOを生じ、亜硝酸イオンを放出する。


硝酸イオンが電極から電子を受取る直接的な還元は起こらず、表面に吸着された亜鉛イオンに対して硝酸イオンが配位し、亜鉛イオンを経由した電子移動が起こって酸化亜鉛が形成されて、亜硝酸イオンが放出される、という触媒作用です。表面にある吸着サイトに対する亜鉛イオンの吸脱着平衡を考えると、

                                                  (8)

の様に表現されて、表面被覆率θは平衡定数Kを用いて、

                                                               (9)

と表されます。ここで、CZn2+は溶液バルク中の亜鉛イオン濃度です。Zn2+が飽和吸着した時、すなわち触媒作用が伴う電荷移動反応速度定数をkcとすると、被覆率θにおける速度定数は、

                                                                 (10)

となります。この反応がTafel領域にある、すなわち電荷移動反応速度によって規制されていることを考慮すると、硝酸イオン(バルク濃度CNO3-)の還元電流の大きさは単純に、

                                                  (11)

と表現されます。nは反応の電子数(ここでは、2)、Fはファラデー定数(96,485 C mol-1)、Aは電極面積です。kkcθに置き換えると、

                                                                  (12)

となり、硝酸イオンの還元速度を亜鉛イオン濃度と関係づける式が得られました。亜鉛イオン濃度と電解電位-1 V (vs. SCE)における硝酸イオン還元電流値の関係に対してこの式を用いると、以下の様に良好なフィッティングが得られました。

図 電解液中の亜鉛イオン濃度と-1.0 V (vs. SCE)における硝酸イオン還元電流の関係に対して、式(12)をフィッティングした。


この結果、酸化亜鉛表面サイトに対する亜鉛イオンの吸着安定度定数K = 1.23 × 105 cm3 mol-1、-1.0 V (vs. SCE)における触媒的な電荷移動の速度定数kc = 3.51 × 10-4 cm s-1を求めることが出来ました。


電流がTafelの式、より正確にはButler-Volmer式で記述される領域では、反応速度は過電圧の指数関数であり、過電圧ゼロの時の速度定数、すなわち標準電荷移動速度定数k⁰に比例(=交換電流の大きさに比例)しますが、k⁰は電極種類と反応種が同一ならば一定、というわけではないことに注意が必要です。この硝酸亜鉛を原料とする酸化亜鉛のカソード電析では、亜鉛イオンが触媒となって、硝酸イオンの還元が可能になります。この現象は合理的で、基板上に吸着し、還元された金属亜鉛原子(UPD析出した亜鉛)から硝酸イオンへの電荷移動が起こっていると考えられます。この研究のフルストーリーは、以下の論文に掲載されています。

Tsukasa Yoshida, Daisuke Komatsu, Naoki Shimokawa and Hideki Minoura, “Mechanism of Cathodic Electrodeposition of Zinc Oxide Thin Films from Aqueous Zinc Nitrate Baths”, Thin Solid Films, 451/452, 166-169 (2004). Top


酸素飽和塩化亜鉛水溶液からのZnOカソード電析の実際

    硝酸亜鉛水溶液からのZnO薄膜のカソード電析が、電荷移動速度によって律速される、すなわち電解の過電圧に支配さることが分かりました。一方で溶存酸素の還元を利用したZnO薄膜電析はこれとは対照的に、物質(酸素)の輸送による規制を受けます。そうなる第一の理由は、水への酸素の溶解度が限られ、その濃度が0.5 mM程度しかないことです。さらに、硝酸イオンの還元に比べると酸素の還元は動力学的に比較的速い(電荷移動が速い)反応であり、容易に酸素の輸送限界に到達するためです(酸素還元反応の電気化学分析の詳細は、別の項目で説明します)。とは言っても、酸素の還元は比較的難しい反応で、動力学的には速い反応に大別されるものではありません。そのため、良好な膜質を得るためには条件を整える必要があります。
 研究を開始した当初は、以下の様なセットアップで実験を開始しました。






         図 ZnO薄膜電析のセットアップ

枝付きフラスコ状の一室型セルを用い、中心に基板となるFTO膜付ガラス基板を吊るし、枝部分から対極、参照極、酸素バブリング管などを通していて、セル全体を温浴(上写真では油浴ですが、通常は水浴)に浸し、ホットスターラーで温調しています。また、セル内にはスターラーバーがあり、マグネティックスターラーで溶液を撹拌します。電解液に色が付いているのは色素が含まれているためで、これは太陽電池用の酸化亜鉛と色素のハイブリッド薄膜を作製する実験からの写真のためです。塩化亜鉛水溶液は、もちろん無色透明です。太陽電池用ハイブリッド薄膜電析については、別の項目で解説します。さて、このセットアップで酸化亜鉛薄膜を電析出来るのですが、得られる膜は不均一でムラの多いものになってしまいます。

図 撹拌型電解槽から得られる酸化亜鉛電析膜の写真。色が付いているのは色素が含まれるためで、色が薄い部分が膜が薄く、濃い部分が厚い。電解液をぐるぐる撹拌しているので、沖合いから溶液が基板に向かって来る側が厚く、基板から溶液が離れる方向の液流を生む部分が薄くなる。

よく見ると、膜がいつも同じパターンのムラを生じていることが分かりました。撹拌の方向を反映していて、溶液が沖合いから基板に向かって来る側が厚く、逆側が薄くなっています。さらに、参照電極のルギン管が配置されている部分(膜の右上付近)は、このルギン管が液流を阻害するので、影の様に膜が薄くなっています。ムラを嫌って撹拌を止めると、電流が大幅に低下してほとんど酸化亜鉛が出来なくなってしまいます。これらの観察から、この系での酸化亜鉛薄膜電析が物質輸送に律速されていて、強制的な対流を導入する必要がある一方、それを均一化しないと膜も均一にならない、ということが分かってきました。膜の不均一性は大問題で、測定している電流密度は全体の平均値なのに、例えば膜厚さなどを評価しようとした時、膜のどの部分をサンプリングするかで結果が大きく異なってしまいます(そうすると、ファラデー効率の決定が出来ない)。強制的且つ均一な物質輸送(対流の制御)の導入が必要で、実験装置の改良に取り組むことになりました。
 電気化学計測で、強制的且つ均一な物質輸送の制御を可能にする実験室向けの設備は、回転ディスク電極(Rotating Disk Electrode = RDE)です。国内外の電気化学計測器メーカーからRDE装置は市販されていますが、それらは全て電気化学分析に向けた装置で、通常は金、白金、ガラス状炭素などの安定な導電材料について裏面(溶液に接しない側)から導通をとる、微小なサイズの電極が用意されているのみです。ところが我々は半導体製膜の研究用にこれを使いたいので、作った薄膜を取り出して色々な分析をしたいのです。また、特に太陽電池などのデバイスへ応用する意図から、FTO膜付透明導電ガラスなど、表面にしか導通の無い材料を使う必要があります。半導体製膜用のRDE装置など、世界中探しても売っていません。「ならば、作ってしまおう!」ということになり、研究室独自のRDE装置を開発しました。まだ世界で誰もやっていない先端研究に挑む時、その研究に必要な装置が売っているとしたら、むしろそれは不思議ですよね?本当に最先端のことをやる時は、その実験装置も自分で作るのが、「工学」です。

図 吉田研が独自開発した回転ディスク電極(RDE)型薄膜電析装置。FTOガラスなどの表面にしか導電性が無い基板も使用可能で、溝掘りをしたアタッチメントに基板をセット、銅テープなどで導通を取った後で丸穴の開いたマスキングテープを貼り、中心に円形の導電部を露出、フラッシュサーフェス化してRDEのジオメトリーを満足することが出来る。

RDE装置の動作原理や、装置構成の詳しい説明は別の項目に譲りますが、期待通り膜の均一性は大幅に向上、再現性もとても良くなりました。

図 RDE型電解装置によって得られた酸化亜鉛/エオシンY色素ハイブリッド薄膜とこれを用いた色素増感型太陽電池

膜が均一なのは、電極のどの部位でも同じ電流が流れている(=同じ速度で反応が進行している)ためで、電気化学計測によって得られる電流や電解電気量のデータと膜の分析によって得られる膜厚さや析出した酸化亜鉛のモル量を関連付けることが可能になります。回転電極では、物質流束が電極回転の角速度の平方根に比例する関係(=レビッチ式)があります。この研究室オリジナルRDE装置を用いて電気化学分析を行ったところ、理論通りのレビッチ解析などが可能であることが分かりました。つまり、市販の分析用RDE装置と同様に、理論通りの電気化学分析をすることが可能なのです。(RDEを用いた電気化学分析の詳細については、別の項目で解説します)

しかし、良好な酸化亜鉛薄膜を得るためには、他にも注意することがあるのです。実はFTOガラスは酸素の還元に対してあまり活性の高い電極ではないため、酸素の輸送限界にはなかなか到達しません。塩化亜鉛を含まず、塩化カリウム(KCl)のみを支持電解質として含む、酸素飽和した電解液中で、電極電位とRDE回転数を固定してクロノアンペログラム(時間―電流曲線)を測定すると、以下の様なデータが得られます。

図 FTOガラスを作用電極(RDE, 500 rpm)として、酸素飽和KCl水溶液(70℃)中、-1.0 V (vs. SCE)で測定されたクロノアンペログラム。電位(=反応の過電圧)と回転数(=酸素輸送量)を固定しているにも関わらず、電流は初期値から徐々に増大して、30分程度をかけて約-2.8 mA cm-2の拡散限界値に収束する。電極の活性化を反映している。

詳しい理論の説明については、吉田研HPの電気化学講義のページや高著の電気化学教科書に譲りますが、電気化学反応の速度(=電流)は、電解の過電圧又は反応物質の輸送量に規制されるはずです。ここではその両者を固定しているにも関わらず、電流値が変化し続けています。なぜ電流が徐々に増加するのでしょうか?まず、最終的に収束している約-2.8 mA cm-2の電流値は、酸素還元の拡散限界電流です。この時、少々電位を変動させたとしても、電流には変化がありません(酸素の輸送量で規定されているので当然)。RDEの回転数を変化させると、電流は変動します。回転数を増大させれば、酸素の拡散流束は角速度の1/2乗に比例するので、電流もそれに従います。すなわち、その状態で角速度の1/2乗と電流の関係をプロット(レビッチプロット)すれば、原点を通る直線が得られ、その勾配から酸素の拡散係数(D O2, 343 K = 4.3 × 10-5 cm2 s-1)を算出することも出来ます。拡散限界に達している状態、というのは、電極表面に拡散輸送された酸素分子が瞬く間に還元されている状態で、定常的な酸素の電極表面濃度はゼロになっており、電極表面から電解液沖合いにかけての酸素の濃度勾配(拡散層)に沿って新たに輸送されてくる酸素分子の量によって、反応速度、すなわち電流が制限されている状態です。逆に、電解開始直後から、拡散限界電流に到達する前の状態では、電荷移動速度がまだ充分に速くなっておらず、電極表面に到達した酸素分子の全てを還元出来ていない(表面濃度はゼロになっていない)、ということです。先のクロノアンペログラムでは、電解開始後徐々に電荷移動速度が速くなり、30分ほどの時間をかけてついに拡散限界に到達する様子が現れているのです。しかし、過電圧が一定なのに、なぜ電荷移動速度が速くなるのでしょうか?ここで、RDEを用いた分析で、電流を過電圧と回転角速度の双方の関数として表現する、ユニバーサルな式である、コーテッキー・レビッチ式を思い出して下さい。




iは電解電流値(A)、nは反応電子数(ここでは4)、Fはファラデー定数(96,485 C mol-1)、Aは電極面積(cm2)、C*は酸素の沖合い濃度(0.549 × 10-6 mol cm-3 @70℃)、Dは酸素の拡散係数(上記)、νは水の動粘度(0.00414 cm2 s-1 @70℃)、ωはRDEの回転角速度(rad s-1)、kは電荷移動反応速度定数、k⁰は標準電荷移動反応速度定数、αは移動係数、Eは電解電位、Eeqは平衡電位、Rは気体定数(8.315 J K-1 mol-1)、Tは温度(343 K)です。記号が沢山出てきますが、定数であったり、この実験では変えていないファクターがほとんどです。この中で、何が変わったかと言えば、電解開始後徐々にkが大きくなったのです。kが大きくなり、電荷移動速度が高くなって、コーテッキーレビッチ式の第一項がゼロに近づき、第二項に支配される拡散限界電流に近づいた、ということです。ここで、電解電位Eは変えていません(過電圧一定)から、変わったのはk⁰です(厳密にはαも変わり得るが)。k⁰は過電圧ゼロの時の交換電流i⁰の大きさを決定します。
i⁰ = nFAk⁰C*
すなわち、k⁰が大きくなって、交換電流i⁰が大きくなり、同じ過電圧でも電荷移動反応速度定数kが大きくなった、だから電荷移動が速くなり、拡散限界に到達した、ということです。k⁰の大きさ、というのは電極の「活性」であり、「k⁰が大きくなった」というのは、「電極が活性化した」ということです。本来あまり酸素還元に対する活性が高く無いFTOガラス電極が、電解をしているうちに「活性化」したのです。
 物理化学的には上記の説明で分かるかと思いますが、物質的には「活性化」とは何が起こっているのかピンと来ないかと思います。「これが起こっている」と説明出来れば良いのですが、ケースバイケースであり、実際にも良く分からないのです。ただ、この様なこと、という説明は出来ます。

図 電荷移動活性点の増大による電極活性化のイメージ

単純な1電子反応で、反応物質が電極表面にある程度近接した時に、電子移動が起こる様な場合を別として、多電子反応が起こる場合には、反応物質や中間体が電極表面にゆるく結合して安定化される必要があります。この例でも、酸素分子1個あたり4個の電子を受取り、酸素酸素間の結合の切断やプロトンとの結合形成を経て4個のOH-イオンが生成する複雑な反応であり、その様な反応が進行し得る反応場は、電極表面の特定の部位に限られるのです。この反応場を電荷移動の活性点と呼びます。活性点は、電極材料の特定の結晶面であったり、構造欠陥であったり、あるいは基板表面に偏在する異種元素(不純物)であったりします。この場合の活性点の正体は明らかではありませんが、現象としては、電解中に活性点が明らかに増加しており、その結果電荷移動速度が増大したと理解出来ます。

 ここまで、電極の活性化について多くの言葉を費やして説明してきましたが、この電解による活性化処理(「予備電解」と呼んだりしている)が、出来る膜の質に大きな影響を及ぼすからです。脱脂洗浄しただけのFTOガラスと、予備電解による活性化処理を施したものを用いた場合の、酸化亜鉛電析中のクロノアンペログラムと、析出物の形態(SEM写真)を以下に比較しました。もちろん、電解電位やRDE回転数は同じです。

図 基板活性化の有無による、酸化亜鉛電析時のクロノアンペログラムと析出物形態の相違。電解浴は酸素飽和した5 mM ZnCl2 + 0.1 M KCl水溶液(70℃)で、電位は-1.0 V (vs. SCE), 回転数は500 rpm。

亜鉛イオンの共存下では、酸素還元反応は動力学的な規制をより強く受ける(電荷移動が遅くなる)ため、定常電流値はもはや酸素の拡散限界には到達しません(但し酸素の輸送による規制は受けている)。基板活性化の有無によっては定常電流値にほとんど相違が無いことが分かります。違いが見られるのは電解開始直後で、活性化した基板では電流が一旦増大して、すぐに減衰し、定常値に収束するのに対して、洗浄のみの基板はこの様な電流ピークを示さず、ダラダラと電流が増大して一定値に収束しています。電解開始から12秒後、電流がまだ増加中のところの析出物の形態を比較すると、洗浄のみの基板では、FTOのピラミッド状の酸化スズ結晶の稜線部分に選択的に、酸化亜鉛の粒子がポツポツと形成されているのに対して、活性化処理をした基板では一面に微小な粒子が多数析出しています。活性化した基板についての過渡的な電流の増大は、反応場となる酸化亜鉛の結晶核が多数出来るためです。電解開始から30秒後には、それぞれの粒子が米粒状に成長している様子が分かります(この米粒状粒子の長軸がZnO結晶のc軸です)。この時、活性化した基板では基板表面がほぼ覆われつくしているのに対して、洗浄のみの基板ではまだ裸のFTO表面が露出しています。電解の継続に伴って新たな酸化亜鉛結晶は形成されておらず、個々の粒子の成長のみで膜が成長していく様子が分かります(atom-by-atom growthといいます)。電解開始直後、瞬間的に核形成が起こるこの様なプロセスをinstantaneous nucleationと呼びます。酸化亜鉛粒子同士が横方向でつながり合うと、反応は基板に垂直な一次元的物質輸送に支配される様になります。電解初期に微小な反応場が多数生じた状態では、基板に水平な方向も含めて、三次元的な物質輸送が起こるので、過渡的には一次元的物質輸送に支配される定常電流よりも大きい電流が流れるのです。洗浄のみの基板を用いた隙間だらけの析出物の場合、拡散層厚さよりも大きい隙間があるので、粒子の成長に伴う反応場の拡大に従って電流が緩やかに増大します。しかしこの場合も、粒子同士がつながると、一次元的な物質輸送で規制される定常値に収束します(活性化した基板の場合と同じ値)。電解を終了した1200秒後の膜形態には大きな相違があります。洗浄のみの基板を用いた膜は、六角柱状の酸化亜鉛結晶粒が個々に見えていて、粒子間に隙間が多いのに対して、活性化処理をした基板では、六角形の形態は表面に確認出来るものの、粒子同士がつながっていて隙間が少ないことが分かります。また、断面を比較しても、前者は隙間が多く、凸凹な表面であるのに対して、後者は緻密で平坦です。表面の凹凸に多少の違いがあっても、それは拡散層厚さに比べればずっと小さいので、一次元的な酸素の輸送量に規制された定常電流値にはほとんど差は生じないのです。電気化学的なデータからは、生成物の違いを予測することは難しいですが、この様にして得られた酸化亜鉛膜は、目視でも大きな違いがあります。前者の膜は構造がランダムなために光の散乱が強く、膜は白くて不透明ですが、後者は散乱がほとんど起きないため、無色透明な膜になります。
 ここまでの説明を絵にまとめると、以下の様に表現出来ます。

図 基板の酸素還元活性の相違によって生じる膜成長過程のちがい。

酸素還元活性が高く、電流が酸素拡散限界に達している状態では、電極近傍のOH-濃度は極限的に高くなっています。言い換えれば、酸化亜鉛の高過飽和状態を生み出していることになるので、析出サイトの選択性が低下して、基板表面にくまなく微小な結晶核が析出します。逆に過飽和度が低いと、析出のエネルギー障壁が低いサイトを選択して析出が起こるので、析出物はまばらになります。一旦酸化亜鉛が出来てしまえば、新たな酸化亜鉛の析出に対する障壁は酸化亜鉛表面の方が基板の酸化スズ表面よりも小さいので、新たな結晶粒の析出は起こらず、個々の結晶が成長することで膜の成長が起こります。但し結晶成長には異方性があり、最密安定面である(002)面方向、すなわちc軸方向に結晶が成長するので、米粒状の粒子が観察されたのです。初期的に析出する酸化亜鉛結晶の方位はランダムと考えられますが、微小な粒子が多数析出した場合は早々に水平方向の成長は止まり、基板に対してc軸が垂直な粒子が優先成長することになります。このため、得られる膜は緻密で平滑、結晶配向性も高いものになりました。一方で隙間が大きい場合は、ある程度水平方向の成長が許容されます。比較的大きい隙間が粒子の間に生じますが、そこには物質輸送が起こらないため、隙間が埋められることはありません。このため膜は疎な構造、結晶配向も相対的に乱雑になったのです。なお、析出物が六角柱状の酸化亜鉛結晶の自形を持っていることにも注目すべきです。なぜなら、この反応は酸素の輸送限界に近い反応なので、仮に酸化亜鉛の析出が不可逆であれば、この様な角ばった粒子の形成は説明出来ないからです。物質輸送(拡散現象)は当然ながらランダムに起こります。突出した部分があれば、そこに優先的に(三次元的な)輸送が起こります。そのため、拡散律速で完全に不可逆な析出反応であれば、析出物は半球状の頂部を持つことになります(凹凸は「ゆらぎ」として自然に生じる)。平滑な結晶面からなる自形を示しているのは、明らかにこの析出反応に可逆性があることを示しています。すなわち、析出した酸化亜鉛は溶解再析出を繰り返しながら、表面の構造を再構築しているのです。結晶の欠陥やステップがあれば、それらを埋める様にして、化学的に最も安定な構造を再構築します。c軸方向に優先成長する異方性が現れるのもそのためです。もちろん電解が継続している時、系は非平衡な状態にあって、全体としては酸化亜鉛が析出する方向に反応がドライブされていますが、だからと言って反応が不可逆なわけではなく、絶えず溶解再析出を繰り返すことで表面の再構築が起こるのです。この研究のフルストーリーは、以下の論文に掲載されています。
Keigo Ichinose, Yasuaki Kimikado and Tsukasa Yoshida, Electrochemistry, 79, 146-155 (2011).

以上酸化亜鉛薄膜の電析について、解説してきました。硝酸亜鉛系と酸素還元系がメカニズムと制御原理が全く異なる対照的な例であることが分かったでしょうか。この他にも、過酸化水素の還元を利用した酸化亜鉛電析法や、様々な化学析出法が知られています。また、酸化亜鉛は結晶化がとても起こりやすいですが、他の金属酸化物では水酸化物が得られた後にこれを熱処理して酸化物に変換する例や、アモルファスな材料が得られる例も多くあり、材料(元素)の性質を反映して様々な原理に基づき電解析出が起こります。しかし、この酸化亜鉛の例で明らかな様に、薄膜の成長レートや得られる膜の構造や性質などは、決して成り行きの産物ではなく、ちゃんと背景にそれを生み出す原理や理由があることが分かると思います。電流がなぜ変化するのか、電流を規制しているのは何か?それらを解き明かすことは、研究課題として面白いだけでなく、そのプロセスを工業的に利用可能なものとするためにも大切なので、電析反応の研究は実用を重んじた学問としてとても重要なのです。
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